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zoom RSS 穏やかな休日・・

<<   作成日時 : 2007/01/21 12:54   >>

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先の日曜、義父と一緒に穏やかな休日を過ごしました。

この日は主人の叔父の法事があり、主人は義母、それに叔父叔母と一緒に名古屋まで出かけていきました。
私はといえば、一緒に主人の生家の山の家まで出かけていき、義父とお留守番。
認知症が少しずつ進んでいる義父をひとりで家に置いておくわけにはいかないからです。

認知症と言っても、まだら状態。
私たちのことは判り、行くと「よく来たな〜ご苦労さん」と言ってくれます。
でも、孫である子供たちのことは「お前さんは誰やったかな?」と。
概ね、昔のことはよく覚えていて、最近のことは印象に強く残ったことだけ覚えている状態。

昔無理をした膝が悪く、両足が人口関節、それで今でも杖が離せません。
オムツもしてますがトイレにも行くことができ、お風呂も自分で入れるので、まだ義母が看て山の家でふたりで生活をしてもらえていますが、その義母の介護の負担を軽くする為にも、今は週に4日デーサービスに通っています。

我儘な嫁である私は、自分の生活も大事とばかりに、出来るだけ2週間に一度くらいは出かけていくようにしてます。
いつも、私が行って真っ先にするのが掃除
一通り、台所からトイレ・居間などが済んでから不燃物などを分けて持って帰るようにしたり、義父の使用したおむつの処理など・・ヘルパーさん状態で動きます。

先の日曜はそれが済んで後は居間でこたつの中に・・
そう、我が家は昔からの掘りごたつがふたつあるんですよ。
ひとつは居間の正方形のもの、もうひとつは座敷の次の間にある長方形の10人ほどが座れ、お正月大勢で食事をする時に重宝する掘りごたつで、両方炭を入れて暖を取るものです。

でも、今は居間はテーブル式の電気こたつにしてあります。
どうしてと言うと、義父が膝の手術をしてから、畳に座ってこたつに足を下ろせても、立ち上がることができないし、膝が痛いと言っていた義母にも椅子の生活の方がいいだろう・・と主人が作り、それを使っているのです。

そこにふたりで椅子に座って話しをしたり、テレビを見たり・・
話は今までに何度も聞いた昔の話・・
86歳になった父は小学6年の冬、祖母について東京の叔父さんの所に出かけていき、卒業も近いからとそのまま東京の学校に転校したそうです。
その時に、体操も得意だったけど、勉強も得意で、山から出てきた猿などと最初は言われたりしたが、卒業の時3人しかもらえなかった硯をもらった・・と言う話
その後丁稚奉公をして自転車で東京中を走り回っていたが、その時でも勉強がしたくて、英語を通信教育で勉強をしていた・・という話とか・・
それに、中国に戦争に行って、所属部隊の仲間は大多数が戦死、父は傷を負って後方に送られ助かったから戦友が居ないという話・・その時にどれだけ大変だったか今の苦労は苦労ではない・・とか。

ここまでは、今までもよく聞いた話。
でも、今回は初めての話しが・・
「困ったもんで、おれは東京に行って色気づいて好きな子ができてな・・」「可愛い子だった〜」とニコニコと嬉しそうに笑いながら話しをしてくれました。
昔から、艶っぽい話しは大好き・・でも、それが全然いやらしさを感じさせない人です。

私たちが結婚した当初から私のことは可愛がってくれた父でしたし、いろいろなことをしてもらいました。
義父母が作ってくれた農作物をもらってくるのはいつも・・当たり前になってしまってました。
子供たちが産まれてからは、おひな祭りだとわざわざ杵と臼でお餅を搗いて、ひし形に切り、色粉で色をつけて菱餅を作って届けてくれましたし、こちらの家では規制で鯉のぼりを上げられないので、あちらの家に子供が居ないにも関わらず、折角作ってもらったのだから・・と毎年上げてくれていたり・・
今自分が孫を持って、果たしてそれだけのことが子供や孫のためにしてやれるか・・・と考えると、有難くて頭が下がる思いになります。

こちらの家を新築した時には、庭に草が生えないように・・と義父母であちらの家の方からわざわざ白い石まじりの土を軽トラック一杯運んでくれたり、花壇には花の為にといい土を運んでくれたり・・
こうして思い出して書いているときりがありません。

そんな義父が車を運転していて2度自損事故を起こして、他の人に迷惑をかけてからでは遅いと車を取り上げた格好で運転をしなくなったのは、2年ほど前。
それまで50年近く車を運転してきた義父ですし、足が悪く車が無いと生活が困難な山の生活の中で運転をしなくなった義父はその為に認知症が進んだような気がします。

そんな義父が、昨年の12月中旬に突然脈が触れなくなる状態の時があり、医者を呼んだが何も治療をしなくても治ったということがありました。
それに、大晦日、我が家はすきやきで年越しをするのですが、食べてしばらくして肉が食道を中々通っていかない状態だったようで、苦しみ胸や背中をさすったりした騒ぎもありました。

その12月中旬の出来事の後、医者とケアマネージャー主人、義妹とで、義父のこれからの治療について話合ったのですが、年老いてきて、心臓が弱ってきている・・食べ物を通す食道の筋肉が衰えはじめていて、少しずつしか食べられない・・それが進むと食べられなくなり流動食になる・・加齢によるごく自然のことのようです。
又、そのような状況になった時、どんな治療を希望するか・・に対して、主人も義妹も無理な延命治療は希望しない・・としたそうです。

そんな「時」が近づいてきているのかもしれない・・
でも、一緒にいて、にっこりと笑って私と話しをしている義父・・とっても可愛いお年寄りになられました。





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私達は伯父さんには仲人をやってもらいました。先日お会いした時私の実家へ結納を持っていった時の話をされていました。私のことはしっかり認知していただいたようでした。あの時の伯父さん達は今の私達より若かったんだなあ〜と不思議な感じがします。ここだけの話、お酒が好きで義父と一緒に大酒を飲んでそれでも自分でちゃんと運転して帰られるのが心配でしたけど、通い慣れた道だったんですね。今はそう、とっても可愛い大黒様のような福福しいお顔ですよ。
ノラちゃんのボス
2007/01/23 18:16
 なにか身につまされるお話しでした。
 我が家の娘二人とも両親がいます。私より若いので私よりも長生きすると思いますが、どの程度まで心つもりが出来ているのか…心配になります。なかなか大変ですが立派に、お世話されているご様子感動します。
 明日はわが身かも…などと思いながら…
 どうかお大事にしてあげて下さいね。
たそがれ
2007/01/23 20:24
ノラボスさん、いつも心遣いのコメントをありがとうございます。
そう、ノラボスさんのことは随分久しぶりに会ったはずなのに、はっきりと覚えてみえたことにはびっくりでしたね。孫のことが判らないのは、自分の覚えている子供の時の顔と違うからなのではと思います。
ん!ノラボスさんのことがすぐ判ったということは、結婚した頃と変わってないということかもね〜(^_-)
そうですね・・私も結婚した当時の義母の年を越えました。
だから、お嫁さんを持って初めて、義母はこんな気持ちだったのだろうなぁ・・と思うことも度々です。
つれづれ
2007/01/23 22:25
たそがれさん、コメントをいつもありがとうございます。
これまでの大晦日は子供たちも含めて賑やかにすき焼きを食べて過ごしたのですが、今回は義父母と私たち夫婦だけの寂しい年越しでした。
そんな時に、義父にそんなことが起こったので、その「時」がいよいよ近づいてきているような気がして、お正月に台所に立っていても淋しくて仕方ありませんでした。毎年お正月の朝の義父の決まり文句が、「今年も皆元気にお正月が迎えられて有難いことだ」でした。これからも、その言葉が聞けることを願っているのですが・・
今の私には4人の親が居てくれます。
でも、親を思う気持ちはあっても、果たして私にどれだけのことが出来るかは全然自信がありません。出来ることをしていきたいと思っています。
つれづれ
2007/01/23 22:48

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