気ままに・・忘れないように・・

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zoom RSS 小糠三合あったら・・

<<   作成日時 : 2008/01/28 21:52   >>

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義父が入院をしてから、朝会社に出かける前に義母の昼食と家族の夕食の準備をし、会社から帰ったら私が帰ってくるのを待ちわびている義母を連れて病院に行く日々を送っています。

義父は認知症がありますが、とても可愛いお年寄りで、病院のヘルパーさんからも「Tさんは可愛いお年寄りで、話をしていても楽しいわ〜」と言われるほど。
私が時にカメラを向けると、気を遣ってニコニコ笑ってポーズをとってくれる・・時々、「私が誰か判る?」と聞くと、「判るさぁ〜こんなうちの大事なもんを忘れてどうなる」なんて嬉しいことを言ってくれるおじいちゃんです。

でも、その義父も義母に対してだけ、厳しく亭主関白、我侭がでるのでしょう、その日によってその対応がすこぶる違い、大声が出ることも。
私になら遠慮をして言わないのに義母に対しては「この管を抜け」と点滴の管を抜くように言い、抜かないと判ると叱りつけたりするので、周りの人はびっくり。
でも、義母は慣れたもの・・怒るということは、元気になった証拠だと喜んだりしています。

23日もふたりで夕方出かけて行き、椅子に座り3人で話をしていました。
すると義父が、いきなり「俺は戻らんぞ」と。
「どこに?」と聞くと「うちに」と。

ついこの前までは、私たちが行くと、「さぁ、帰る用意をしなあかん。これは持って帰ってもいいんか?」とベットから起き上がろうとしていたのに・・
「どうして?」と聞くと、「まぁ、嫌んなった」と。


義父はその日その日のモードがあって、いつかは戦争中であり、幼い頃の時も・・。
一番たくさん出てくる人物が、子供である夫や義妹かと思いきや、あんなに子供思いで優しかった義父なのに、その話は全然出てきません
出てくるのは、父親や母親、そして7人兄弟なのに一番確執があった兄の話で「待っているから早よ、行かなあかん・・」と言ってみたり、子供の頃に世話になった東京時代のおじさんなのです。

戦争中モードの時は、病院のベッドのサークルから出られないということが、捕虜になったと思い込んでいるようで、「俺はもう捕まったから仕方ないが、お前たちまで捕まったらあかんで、はよ逃げよ!」と私と義母を驚かしたりします

胃ろうの処置をした日の翌日は大変でした
処置をした後、痛かったのに、付き添いでいるはずの義母が完全看護でそばに居なかったことが余程腹に据えかねたようでした。
翌日病院に行くと、、戦争時代に怪我をした時と重なっているようで、「お前のような白状者は来るな!戦友が居ってくれたからいいもんの、お前は俺を見捨てて・・・さっさと帰れ もう来るな」と見たこともない様な怖い顔で怒ったりした日もありました。

そして、この日、義父は30代位に戻っているようです。

義父母はいわゆる、両貰いで結婚をしています。
戦争が終わってふるさとに帰った義父は、子供の無かった近所の家に29歳で養子に入りました。
そして、その後に、その祖父の姪である義母と結婚をしたのですが、この日はそのことを言っているようでした。

その当主であった主人の祖父は、所謂やり手の商売人・・山の中に住んでいましたが、材木の商売を手広くして、それなりの生活ができる家だったそうです。
逸話では、その昔のことですから、女性を街に囲うほどの甲斐性がある人だったとか。
そして、その当時だったらありそうな亭主関白はもちろん、誰よりも自分が一番偉い!と思っている人だったと聞いています。

その家に義父は養子として入ったのでした。

だから、最初の「帰らん」は、その時の生活が義父にとってどんなに我慢をして暮らしてきたか・・という証の言葉でした。

「もう行くって約束してしまったけど、俺はもう養子に行くのは止めた」
「どうして}と聞くと、「あのおじい(祖父)が気にいらん」と。

「だったら、どうして養子に来る約束をしたの?」と聞くと、
「酒はいくらでも飲ませるから養子に来んかと言われたからや」と。

「それが、二合しか飲ませなんだ。おじいはぜんぜん飲まなんだし」と。
「そりゃ、おじいちゃん、そのおじいさんの前では飲み辛かったね」と私。

まぁ、冗談が言える今ではないので、多分ほんとのことなんでしょう。
その頃はお酒は高価だし手に入り難かったのでしょうし、数年前までは、一升飲んでも平気だった義父らしいと思う反面、あんなに頭の良かった義父がそんな程度のことで養子にと不思議に思うのですが、その真相は判りません。

反対に、祖母にあたる人はとてもいい人だったようで、義父母ともに「あんなにいいばあさんはどこにも、おらなんだ」とよく聞きます。
この日も、「おばあさんは、いい人だったから良かったけれどな・・」としみじみ・・


それにしても、祖父からしてみて姪だった娘を嫁にしたことも含めて、義父は結婚してから、さぞ辛抱をしてきた日々だったのでしょう。

それが夫が大学生になるまで・・祖父は晩年11年間寝たきり状態だったそうで、その亡くなるまでその辛抱は続いたのでしょう
寝たきり状態になった祖父は口が肥えていて、牛肉のおいしい物が食べたいと言えば遠くの街まで買いに行ったという話も聞いてます。

祖父の商売も出来なくなり、山の中で暮らしながら、義父の収入だけでの贅沢はさぞ大変なことだっただろうと想像できますが、その責任感と優しい義父のことだから懸命にその願いを叶わせなきゃと頑張ってきたのでしょう。

それで私、「でも、おじいちゃん、そのお陰でNさん(夫)やMさん(義妹)のような、いい子供に恵まれたんですもん、良かったじゃないですか」と言うと
「そうじゃな・・」と一応言いますが、あくまで子供のことは虚ろ・・・
「俺はもう戻らんぞ」と続くのでした。

多くの日のように、「さて、来てくれたから俺も一緒に戻らなあかんな」と帰る様子を見せられるよりは、ずっと気が楽ですが・・ 

米ぬか三合あったら養子に行くな・・

その格言どおり、義父にとっては、認知症が進んできた今でも忘れられないほど、後悔の種のようです

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
まあ何とも複雑な心境です。どうコメントして良いのやら(笑)。
でも、今が幸せなら良いのではないですか。義父さんも義母さんも多分わかっていると思いますよ。
いずれは我が身かもわかりません。でもそれなりに、当たり前に過ごせる幸せを喜びましょう。明日もきっと良い日であります。
ヒゲおやじ
2008/01/28 22:48
ヒゲおやじさん、コメントをいつもありがとうございます。
この話を私も聞いた時、びっくりしました。
養子になったことを後悔されていることは主人から聞いてました。
でも、それにお酒が絡んでいるとは、冗談のようですが、多分ホントの話なんでしょうね。(^_^;)
「そんなにイヤだったら、養子になんてならなきゃ良かったのに」とか、「イヤだと思った時に出て行けばよかったのに」なんて大人げないことを主人は言いますが、だったら貴方は存在しなかったかもよ・・な〜んて。(笑い)
今が果たして幸せかどうか・・義父母にとって今は幸せとは思えませんね・・人生の終わりの迎え方というのは、自分ではどうしようも無い部分もあって難しいものだと、つくづく思います。
つれづれ
2008/01/29 13:05
つれづれさん。お忙しい日常の中で、いつも読み応えのある記事をUPされてすごいなと思っています。どの部分について何と書こうか、と迷ってついつい考えすぎ、そのままご無沙汰をしております。

うちの義父も養子で両貰いでの結婚です。
実家は農家でしたので、田んぼを分けることは「たわけ者」と言うくらい、次男以下の子どもには相続しなかったそうで、義父は三男でしたので、食い扶持を減らすためと、田んぼを分けないために、小学校を出るとすぐ父親が勝手に決めたところに養子に行かされたそうです。戦争から帰ってそこで義母と結婚しましましたが、十数年間は養母の世話で明け暮れし苦労したようです。養母亡き後の義父はまた男尊女卑のワンマンで、義母が苦労していたことは私も知っています。老人ホームにいるあのお爺ちゃんと同一人物とは到底思えないほど、今ではすっとぼけていますが・・

実父も同じく農家の三男でしたが、小学生の頃にはもう年の離れた長兄夫婦がすでに実権を握っていて、ここにいても一生うだつは上がらないと勇躍し14歳で単身満州に渡ったのでした。
つくづく、貧しい時代だったのですね・・・
レイコサウルス
2008/01/29 15:20
レイコサウルスさん、こんばんは〜
丁寧なコメントをありがとうございます。
いえ、私の場合はあれこれ書きたいことを長々と書いてしまうので、レイコサウルスさんの様な簡潔で、読む人を惹き付ける記事に憧れるのですが、ダメですね・・どうしても簡潔に書けなくて、いつも長くなってしまいます。
時間も無いのに・・一番犠牲になっているのは家事と睡眠時間です。(^_^;)
多分、レイコサウルスさんも一度は通られたのではないでしようか・・これはブログ病ですね。自分でも呆れています(^^ゞ
つづく・・
つれづれ
2008/01/29 23:56
いくえみ日記(でしたよね?間違っていたらm(__)m)読ませていただいてましたから、少しはその状況が判ります。
同じですね・・義父は義母にだけ・・きついのです。
自分がどれだけ良くしてもらっても・・してもらって当たり前のようで気にいらないと怒鳴りつけてたりしてましたから、普段、私たちに対する姿と違い過ぎて、驚いたこと度々です。
だから、主人は義父のことを尊敬しているのに、その部分だけは許せないと言ってました。
が、今義母と同居をしてみると、やはり片方だけのせいでも無いような気もします。でも、それも夫婦のひとつの形なのでしょうね。
私の実父は次男でしたが、「田わけ」をしてもらった口です。
でも、三男はやはり赤ちゃんの時に養子に出てます。
ほんとに、今とは全然違う根本的なところで、子供を育てることが、食べていくことが難しい時代だったのですね。
つれづれ
2008/01/29 23:56
こんにちわ、 つれづれさん。

認知症って・・。
矢張り辛い想い出につきまとわれるものなんでしょうか。。。
覚えてるのはそうした苦い想い出だけなんでしょうかしら。
考え込んでしまいました。

私の場合、 母が再婚して初めて継父と暮らすようになってからの暗い日々を思い出すようになってます、 最近とくに。
気をつけないと私自身いつかは認知症になるのでは、 と想ったりする昨今なんですよ。

つれづれさんはよく尽くしてらっしゃるんですね。
そんなお義父さんに信頼されて可愛がられてるなんて余程孝行なさっておられるんだと思います。
大変だと思いますがご自分のお身体に十分お気をつけて頑張ってくださいね。

http://monblo.blog26.fc2.com
モナカ
2008/02/06 04:10
モナカさん、こんばんは。
中々ブログにお邪魔できませんのに、コメントをありがとうございます。
義父は子供の頃から頭の良かった人で、たった3ヵ月しか通学しなかった東京の小学校を卒業する時に優秀者3人しかもらえなかった硯をもらったというのが自慢の人でした。それに丁稚奉公に出てから、通信教育で英語を勉強したそうで、年をとっても英語の単語位は読めました。
認知症になった今でも、その話は出てくるので、それほど自分の大切な部分なのでしょうね。
モナカさんはその明るいブログからは想像もできない、過去を経験されているのですね。
大丈夫!嫌なことだけでなく、嬉しかったことも随分残っているようですから、モナカさん、ご心配ならなくてもいいと思います
ただ、私もこの年齢になってくると、忘れ事が多くなったり、今まで自信のあったことも失敗をしたりして不安になることはありますね。
でも、モナカさんのようにいろんなことに興味を持たれていることは、きっといいことだと思います。
お互いに、いつまでもいろんなことに興味をもっていきましょう♪〜
つれづれ
2008/02/06 23:18
モナカさん、続きです
私ではなく、主人がとても親孝行です。
そして、義父母が子供孝行の人でした。
だから、私はその恩恵に与っているだけです・・が、よくしてもらった、可愛がってもらったから、お返ししなくてはという気持ちはあります。
後で後悔するのは自分ですから、そんなことないようにしたいですが、環境も許さず、後悔だらけになりそうです。
お気遣いありがとうございました。
つれづれ
2008/02/07 12:17
お疲れ様です、でもまだ落ち着かないよね。
私の義父も以前養子に行ったことがあるのです、実は。
でも嫌だと言って飛び出してきたそうですが、彼らしいでしょう。
ブログを書く元気になったら又戻ってきてください。
私は私のブログに、私なりの思い出を書かせてもらいました。
今度あったらもっと色んな思い出を話しましょう。
ノラちゃんのボス
2008/02/18 19:15
ノラボスさん、こんばんは。
今回もお世話になりましたm(__)m
49日が終わるまでは気が抜けないですが、今まで病院や施設に通っていた時間がぽっかりと開いて、ボーっとしています。
ブログは随分前に書いて、アップできてない物が数点あるので、近々アップできたらと思っています。
おじさんの話、本当?初めて聞きました。長男なのにどんな事情があったのか興味津々・・又思い出話と共に話を聞かせてください。
つれづれ
2008/02/18 23:39

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