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zoom RSS 父の病

<<   作成日時 : 2009/06/17 23:25   >>

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5月の旧家族旅行に行って、「これからも1年に1回くらいはこんな旅行がしたい」と言っていた
父がこの所元気がない。

「お姉ちゃん、今日仕事?」といつものように庭で花を眺めてから家に入ると妹から電話があったのが
先週の12日の金曜日だった。

何か切羽詰まっている・・楽しい話かそうでないかはその声で判り、
「そうだけど、なんで?」と私

「お父さんが電話をしてきて、医者に連れていってくれと言うんだけど、私は昨日休みで今日仕事だから
お姉さん、出来たら行ってもらえないかなぁと思って。」と妹
「いいよ、私行くから」・・と返事をしてから急いでご飯をかき込み実家に行った。

実は父はその前週の6日の土曜に、左胸の痛みがあり一日寝ていたが夕方我慢しきれずに上の弟が
市民病院に連れて行き、救急診療を受け夜の10時過ぎに帰ってきた・・と聴いたのは7日日曜だった。

当然市民病院だから、応急の手当だけだから、月曜に受診してくれと言われた・・と
今度は妹が仕事が休みのこともあり、8日月曜に付き添って市民病院に行ってきた。

父はずっと心臓と肺、高血圧と前立腺の病気を持っていて、市民病院にもう何年もかかっていた。

だから、市民病院に今度もかかったのだが、この日は予約が入れてないので仕方ないが
朝8時半に受付をした後、診てもらうまで数時間、全て終わったのが午後2時半で、病人が
それ以上に病人になってしまうと思えるほど時間がかかったと言う。。

その診察というのも、待った挙句診てもらえたのは「研修医」と名札をつけた初対面の医師で、
CTとレントゲンを撮ったが、父にとっては命を預けるには不安にを増すようなあいまいな
診断しかしてもらえなかったと妹から聞いた。

その父がそれ以来ずっと元気が無かった。
一日中家から出ず、寝てばかり居ると思ったら、年賀状を出してきて、
「俺が死んだら葬式に呼ぶ人は・・」とノートに書き出しているという。

聞いて私は、随分弱気になっているなぁ・・
きっと、今までにない痛みで不安なんだろうなぁ・・と思っていた。


そして、金曜の朝の電話である。
車で20分ほどの実家に駆けつけ、待っていた父を連れて、市民病院の薬の履歴を持って、
去年かかったことのある町医者に行った。

ここも人気のある医者なのか随分混雑していた。
私の仕事を気にして、「仕事があるんなら帰っていいぞ。タクシーで帰るから」と杖に顔を伏せている父。
でも、現実には問診表を書くのも検尿をする足元も覚束ない父を置いて帰るなどとんでもない。
できるはずもなかった。

診察待ちをしている時に、父に
「市民病院はこんな風に急に悪くなった時は担当医に診てもらえないから、ちゃんと一人の
お医者さんに診てもらえるように、かかりつけの医者を持っている方がいいよ」と言ってみた。
それは義父母の場合と比べて思ったことだった。


義父もそうだったが、今も山の中に住んでいる義母は、その地域の診療所にかかり、大概の
病気はそこで診て貰う。

そこは以前テレビでも紹介されたとがあるが、その地域の医療に尽くしている医師がいて、
私が義母に付き添った時にもお年寄りにも優しく判りやすい説明をしてもらえたし、
ひらがなで、その治療を書いて渡すという気遣いもされていた。

若い研修医も育てている診療所で、以前一人住まいの母の所にでひとりの女の子という
感じの研修医が泊まり込み一緒に生活をした時も、義母は優しい子だったととても喜んでいた。

それに思いがけなかったのは、そのカルテに、その家族関係、子供が住んでいる所や、子供や
そのお嫁さんの職業も書かれていて、一人暮らしの患者の生活環境を把握して
治療をしてもらっていると感じた。

往診も気軽にしてもらえるし、薬をもらいに行く元気が無かったら、看護婦さんが届けてくれるのも
有難いと思っていた。



そのことを知っているだけに、山間部とは違って便利に感じる場所に住んでいるにも関わらず
父はそんな医師に出会えてないと知り、そう勧めてみた。

父もそれまでは市民病院の副院長に診てもらえるからと、市民病院贔屓だったが、今回診察を
受けても楽になれないこともあって、
「市民病院は懲りたから、もうこっちの先生に診てもらう」と言う。

その後、診察の順番になり、左胸が圧迫されているように痛み、それが2日ほど前から強く
なってきていると医師に訴える父
医師は「それで市民病院ではどんな診断をされているんですか?」と聞かれるが答えられない。

そう言えば、今まで何度も兄妹が救急でかかったと知らせを受けて、市民病院に駆けつけたことも
あるのに、どんな病名であるか私もはっきり知らなかった。

この医師は混んでいるにも関わらず、よく話を聞いていただける医師で、市民病院と重複しますがと
レントゲンを撮った後、

心臓が大きくなっていること、
心拍が弱いこと
市民病院の薬で心臓と高血圧と前立腺の薬が出ていて、処方はこれでいいこと
ただし痛みがあるので痛み止めを処方します
そして、血液の検査をしてその答えも合わせて月曜に診せてくださいとのことだった

全部終わったのは11時を過ぎていたが、気のせいかわずかに父が元気になっているような気がした。
今までにない心臓の痛みを感じて、頼るべき医師にやっと出会えたという気持ちだったのかもしれないと
思えた。

私は「病は気からと言うでしょ。気持ちに負けたらいかんよ」と言うと
「そうやなぁ」と父

それに、ズボンのファスナーを上げるのに体が前に傾むけなくなったと言うので
「心配だからと寝てばかり居ると、運動不足で体が萎えてしまうから、たまには動かないと」と言うと、
「そうやな・・歩かなあかんな」と父

それからは、その言葉がインプットされたように、「動かなあかん」と気持ちが切り替わったようで
日曜には下の弟が近くのゆり園と温泉に連れていくほどになった。

が、又昨日火曜日の朝母から電話
「お父さんが病院に行きたいと言って、○○(上の弟)が連れて行ったから、病院に行ってやって」と。
血液検査の結果を聞くのに、今日仕事が終わって夕方の診療に連れていくつもりだったが
流石にこの日は仕事に支障が出そうだったので手配の電話をして、またもや朝から駆けつける羽目になった。

症状としては、やはり心臓の下辺りの痛みが再び出てきたことと、体がえらいと言う。

でも、血液検査の結果も、今日撮った腹部エコーの結果も心配なし・・
胸の痛みは、肋間神経痛だろうとのことだった。
それを聞いて本人も納得。

ここの医者をかかりつけにしたいと医者に伝えて、市民病院から紹介状をもらうように手配をして帰ってきた。


こうして付き添ってみると父は自分の症状は訴えるものの、自分の病名すら言えない病人だった。
これまでは、父が自分のことだから知っているとか、母も付いているからとか思っていたが
考えてみれば、今の父に自分の症状を的確に説明できるとは思えないし動きも鈍くなっている
そういう老人に父はなっていたことに、今更だが気がついた。

そして、同じことが義母にも言える
毎週土曜は、主人の生家に一人住まいをしている義母の様子を見に行くことにしているが、
先々週は行くと、その前の週に私が作っておいた煮物が、まだ残っていたし、
先週は私の作ったものは無くなっていたが、義母が作ったふたつの鍋にあった煮物にカビが生えていた。

多分、自分の好きなものだけを食べてのことと想像でき、別にそれはそれでいいのだが、
それを見て、これからは食中毒が心配になり、4品ほど煮物を作って、個別に分けて冷凍し、
レンジでチンして食べてくださいと言ってきたが、義母も父と同じ世代で、もう人の為はもちろん
自分の為にも動くのは億劫な老人になっている。

親が老いていくことは、なんと淋しいことか・・・
そして、これから、どんな道が待っているのか・・

自分もいつか行く道・・・自分が後悔しない為にも、頑張るしかないかな

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
なんとも身につまされる話しです。
私も実家に電話しなければならないことがあり、昨日からしそこなっているんですが。。。
今これを書きかけで電話しました。
父がやっと車の免許を警察署に行き返したそうです。
強情張ってお嫁さんと喧嘩してまで返すのを抵抗したりしていたのですが。。。

やがて行く道の実感がありありしすぎています。

自分の為にも動くのが億劫、これなんですよね。自分のことにすら気が廻らなくなってきていますよね。

お互いに自分のため親のため、頑張りましょうね。
らんじゅ
2009/06/18 20:09
らんじゅさん、こんばんは〜
いつもコメントをありがとうございます。
どこも同じ悩みを抱えてますね・・
父はまだ免許を持ってますが、今回は自分で乗ってでかける元気も無かったようです。もうこれから無理かもしれません。
お嫁さんが勧められたとか・・免許が無いと、どこに行くにも廻りの人が連れていくことになりますから、大変にもなりますよね。
その辺りも判り弟の負担が増えることも目に見えてますから、安易に勧められないとも思います。難しいですね・・
淋しいことですが、自分が後悔しないためにも頑張りましょう
つれづれ
2009/06/18 22:04
つれづれさんのを拝見していると、義父ひいじいのことが、昨日のように蘇ってきます。
ママンは47歳で退職した時はまだ運転免許を持っていませんでした。
段々義父の運転が危なくなってきて、頼れなくなって、これは絶対私が免許を取らなくてはと決心したものです。
義父は85歳まで運転しましたが、80歳くらいからは大変危険になってきていました。
同じような症状の繰り返しでしたが、随分長生きしましたけれど。
これからは、義母さんのほうも心配ですね。
本当に身につまされますが、皆で協力して手助けしていかないとなりませんね。
実家の母も88歳です、もう遊びにこいと言っても、なかなか腰を上げられません、体が追いつかなくなっているようです。
山形ママン
2009/06/23 22:49
山形ママンさん、こんにちは〜
親はいつまで経っても親で頼りにしていたのですが、それが反対になりつつあると感じるようになりましたね。
病院に行く時も母はついていきませんでした。一緒に行くものと思ってましたが、考えてみれば母も喜寿で立派な老人になり、父の面倒を見てのも大変だろうなぁと思います。
先が見えないだけに、両親のことも義母のことも不安ですが、出来ることをするしかないですね。
父が「これは85の坂を越えるのは中々難しいぞ」と言ってましたが、実感でしょうね。
つれづれ
2009/06/24 13:06

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